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【from Editor】女性飛行士ふたりの「手紙」(産経新聞)

 日本人で2人目の女性宇宙飛行士、山崎直子さんが、約2週間の任務を終えて地球に帰ってきた。

 搭乗したスペースシャトル「ディスカバリー」の打ち上げ前、山崎さんは先輩の向井千秋さんに、両親への手紙を託していた。

 ≪このカードが届くころには、私は宇宙に到達していると思います。今までいつも見守ってくれて、どうもありがとう。また宇宙から戻ったあとに、ゆっくり会えることを楽しみにしています。二週間、行ってきます。お父さんお母さん、みんなのことをいつも想っています。直子より≫

 今は、宇宙からも家族への電話はできる。“万が一”のことも考え、素直な気持ちを両親に伝えたかった−そんな思いが文面から読み取れる。

 教師志望の山崎さんが飛行士を目指したきっかけは、1986年、中学3年のときに起きた「チャレンジャー」の事故だった。亡くなった乗務員7人の中に、初の民間飛行士に選ばれた米国人女性教師のクリスタ・マコーリフさんがいた。教師という職業が、子供のころからあこがれた宇宙と結びつき、「飛行士になりたい」と思ったという。

 その年の暮れ、社会部遊軍記者として向井さんを取材した。「師走 往復書簡」という企画で、向井さんから天国のマコーリフさんへの「手紙」を記事にした。

 ≪夢と勇気を持って宇宙に挑んだマコーリフさんを、今でも尊敬しています。宇宙の専門家でないマコーリフさんが無事に帰って来て、生の宇宙体験を子供たちに伝えられていたら、どんなにすばらしかったでしょう。マコーリフさんが果たせなかった夢を、私が実現したい≫

 向井さんは8年後に初飛行を果たし、中学生だった山崎さんもマコーリフさんの遺志を継いで、24年後に宇宙へ飛び立った。無事に帰還した山崎さんの笑顔に、マコーリフさんの「夢と勇気」が宿っているように思えた。

 余談だが、向井さんは取材の数日後、電撃的に結婚を発表。企画と結婚の記事は12月27日付の第2社会面に並んで掲載された。

 取材時には「結婚の予定」も質問したのだが、やんわり否定されたのか、笑ってごまかされたのかは記憶にない。

 「何で、聞き出せなかったんだ」。当時の稲田幸男遊軍キャップ(故人)に取材の甘さを指摘された。そのダミ声は、今も耳に残っている。(科学部編集委員 中本哲也)

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